弁護士になった中高の同級生と今秋目途に生まれ育った地元、尼崎市(約45万人)・伊丹市(約20万人)の相続相談を受ける事業を始める。
彼とは高校を卒業してから16年振りに出会って一緒に仕事する機会が出来た。
ハイレベルな大学に行き、努力の末に弁護士になった彼に会った時に、
「大原は学生時代輝いてた」と言われた時に、もの凄く嬉しかった。
実際に高校2年から30歳までラッパー(兼フリーター)やって、30で初めてサラリーマンをした時に、不安は強烈やった。
その時は同じ元野球部のエースに相談し、昼ごはんのたった1時間だったけど強い自信を復活させてもらった。
大学の3,4年で宗教の様に就職活動の為、同じ様なリクルートスーツを着てる姿を見て
「こいつらアホやな」って思ってた。
大学4年も行かせてもらって、自分のやりたい事、1つも見つけられずにその結果が
常識電鉄の「平凡」行きの列車かよって思ってた。
ラッパーの時、特に26歳を越えたあたりで、同級生は「年収1千万を越えてる」とか「横浜市と仕事してる」、「こんな大きな社会的に見栄えの良い仕事をしてる」とか色んな声が聞こえてきて嫉妬と悔しさがデカかった。
自信満々でHIPHOP業界、インディーズ音楽業界に入って、結果が出せず、結果の出し方がわからず、金も稼げず、深夜の忙しいブラックな牛丼屋で一人で半日も走り回ってた。
このまま死んだら「あいつはただの酒乱のビッグマウスで意味の分からんやつやったな」で終わってしまう事が凄く怖かった。
「学生時代、間違いなく自分は勉強も野球も出来たよなぁ」
でも抜け出し方が1ミリもわからなかった。俺の気性の荒さと人の意見を聞かない・空気を読まない・人と同調しない性格が問題なのかとも悩んだりした。
勉強は、総合的に間違いなく出来た。
中学生の時、タバコで謹慎になって、数学教師の野球部顧問が持ってきた「灘中レベル」の連立方程式も10問全部解いて、その先生はびっくりしてた。
野球も4割以上打ってるのは高校1年生の俺だけだったし、1年生で1ケタの背番号もレギュラー取ってたのも俺だけやった。
成功者の中には「(小さくても良いから)成功体験を積み重ねる事が大事」という方がいます。
自分は30歳で初リーマン⇒独立⇒会社設立の6年間で学生時代の成功体験に大いにすがったし、何度も自信を復活させてもらった。
だからと言って東大生でもなければ、大阪桐蔭でもない、ただの弱小の鼻たれ小僧なのは重々わかってる。
新卒で上場企業に就職していった同級生には3年で追いつくと思った30歳から丸6年。独立して4年ちょっと、多くの経営者の様に360日朝から晩まで3年間やってきた。自分の場合はサラリーマン経験が1年半で少ない為に、経営だけではなく業界の知識を勉強する事にも時間を費やしてきたからまだまだ経営としては大きな基盤で出来てない。ただリスク分散等のディフェンスは小さいながらにきっちり作ってきてる。
独立した時は絶対に友達には頼らない、絶対に友達に営業を掛けない、昔の友達に仕事をふられても受けないと決めていた。
友達関係で受けるのは本質的に実力ではないし、友達がいない場所に行っても続けていける実力が欲しかった。
なあなあさが自分は嫌だったのと、今思えば開業直後は一般のプロ業者のレベルに達してないと自分でわかってた。
大きな企業の案件や全国数千店舗に置かれるデザインや、TVCMしているサービスの訴求サイトなどを作ってる内に自分の中にも1kgずつ明確に自信が肉をつけてきた。
月日は流れてこの4年ちょいの間に色んな紹介や、昔からの友人からの仕事の相談等を受ける様になり、友達関係の中にも受けるべき仕事、受けないべき仕事というのがわかってきた。
書きたい事はもっとたくさんあるけど、そんな経緯があり、自分が昔から認められる、今では尊敬できる人間と一緒に事業をやります。
自分も彼も地元の商工会議所に入ってる。
商工会議所はひと言でいうと「地元に根差して商売をし、地元に還元・貢献したいと願ってる(実行している)中小企業とその社長の集まり」
例外もあるが基本的にはズレてないと思う。
地元に関わる仕事はずっとやってみたかった事。
やれる事からやってみるべし。